解説
[1759~1802]江戸時代後期の大名。宝暦9年8月27日生まれ。紀伊和歌山藩主徳川宗将の9男。兄松平忠功の養子となり、寛政5年伊勢(三重県)桑名藩主松平(奥平)家5代。藩政改革をすすめ、平井澹所らをまねいて学問の振興につとめた。松平定信と親交があった。享和2年4月22日死去。44歳。初名は頼徳。通称は唯之進。号に澹寧斎など。お墓
場所:天眼寺(東京都台東区谷中1-2-14) 墓正面:松平家之墓 撮影:2017年 |
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