解説
[1688~1732]江戸時代中期の儒者。元禄元年生まれ。荻生徂徠にまなぶ。詩文にすぐれ、三河(愛知県)刈谷藩につかえ、朝鮮通信使と詩文をかわした。のち陸奥守山藩(福島県)の儒官となる。享保17年7月23日死去。45歳。陸奥三春(福島県)出身。名は玄中。字は子和。通称は源右衛門。著作に「金華稿刪」など。お墓
場所:蓮光寺(東京都文京区向丘2-38-3) 墓正面:文荘先生之墓 撮影:2023年 |
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