解説
[1883~1964]明治から昭和時代の彫刻家。明治16年3月1日生まれ。朝倉摂・響子の父。明治41年「闇」が文展に入選。文展、帝展の審査員、母校東京美術学校(現東京芸大)の教授をつとめる。帝室技芸員、芸術院会員。昭和23年文化勲章。朝倉彫塑塾を主宰。昭和39年4月18日死去。81歳。大分県出身。旧姓は渡辺。代表作に「墓守」など。お墓
場所:谷中霊園内天王寺墓地(東京都台東区谷中7-5-24) 墓正面:朝倉文夫夫妻之墓 撮影:2022年 |
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