解説
[1865~1950]明治から昭和時代の物理学者。慶応元年6月28日生まれ。明治29年母校帝国大学の教授となり、のち理化学研究所員をかね、長岡研究室を主宰した。36年土星型原子模型理論を発表。地球物理学、光学などおおくの分野で業績をのこした。昭和6年大阪帝大初代総長、のち学士院長。貴族院議員。12年第1回文化勲章。昭和25年12月11日死去。85歳。肥前大村(長崎県)出身。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ12号1側) 墓正面:長岡半太郎妻箕作氏之墓 撮影:2020年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |