解説
[1815~1859]幕末の武士。文化12年6月7日生まれ。若狭(福井県)小浜藩士。嘉永5年藩政批判で士籍をうばわれる。ペリー来航後は梁川星巌とともに京都の尊攘派の中心人物となり、日米通商条約調印反対、大老井伊直弼の排斥などを画策。安政の大獄で最初に捕らえられ、安政6年9月14日獄死した。45歳。本姓は矢部。名は定明。通称は源次郎。別号に湖南、東塢。お墓
場所:海禅寺(東京都台東区松が谷3-3-3) 墓正面:勝倫斎俊巌義哲居士 撮影:2018年 |
場所:回向院(東京都荒川区南千住5-33-13) 墓正面:梅田源次郎遺墳 撮影:2019年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |