解説
[1141~1208]平安後期から鎌倉時代の武将。永治元年生まれ。武蔵大里郡(埼玉県)熊谷郷の人。平家方から源頼朝の配下に転じ、本領熊谷郷の地頭職をみとめられる。平氏追討に活躍し、一ノ谷の戦いで平敦盛を討つ。建久3年伯父久下直光との領地あらそいに頼朝がくだした裁定を不服として出家、法然の門にはいった。承元2年9月14日死去。68歳。通称は次郎。法名は蓮生。お墓
場所:熊谷寺(埼玉県熊谷市仲町43) |
場所:金戒光明寺(京都府京都市左京区黒谷町121) 撮影:2014年 |
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550) 撮影:2018年 |