解説
[1799~1863]江戸時代後期の蘭学者。寛政11年9月7日生まれ。美作(岡山県)津山藩医。儒学を古賀侗庵に、蘭学、蘭方を宇田川玄真にまなんだ。天保10年幕府天文台の訳員、のち蕃書調所教授となる。医書のほか多分野の訳書がある。文久3年6月17日死去。65歳。名は虔儒。字は庠西。号は紫川。著訳書に「泰西名医彙講」「八紘通誌」など。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(14区1種2側) 墓正面:紫川箕作先生之墓 撮影:2022年 |
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