解説
[1836~1909]明治時代の造船家。天保7年生まれ。越後(新潟県)長岡藩を脱藩、江戸にでて勝海舟に入門。のち坂本竜馬の海援隊にくわわる。維新後アメリカに留学して造船学をまなび、帰国して海軍、開拓使につとめる。明治10年白峯造船所をおこした。明治42年4月1日死去。74歳。本姓は鵜沢。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種ロ5号8側) 墓正面:樹徳院殿顯理明智居士 撮影:2020年 |
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