解説
[1815~1894]江戸後期から明治時代の医師。文化12年5月22日生まれ。生地信濃(長野県)の高遠藩の中村中倧、京都の中西鷹山の塾にまなぶ。江戸にでて開業、のち幕府医官となる。フランス公使ロッシュの病気をなおして名声をあげ、慶応2年奥医師。維新後は東宮侍医をつとめた。明治27年3月16日死去。80歳。名は直民、惟常。字は識此。号は栗園。著作に「皇国名医伝」「傷寒論識」など。お墓
場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(乙8号10側) 墓正面:栗園浅田宗伯先生之墓 撮影:2021年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |