解説
[1670~1703]江戸時代前期の武士。寛文10年生まれ。赤穂四十七士のひとり。越後(新潟県)新発田藩士の子。江戸で寄宿先の菅野六郎左衛門の高田馬場での決闘に助太刀して勇名をはせ、播磨(兵庫県)赤穂藩士堀部弥兵衛の婿養子となる。吉良義央邸討ち入りにくわわり、元禄16年2月4日松平邸で切腹。34歳。大石良雄らとの往復書簡をまとめた「堀部武庸筆記」がのこる。本姓は中山。名は武庸。お墓
場所:泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1) 墓正面:刃雲輝剣信士 撮影:2020年 |
場所:福泉寺(大阪府大阪市中央区中寺1-1-36) 墓正面:釈宗亀信士 撮影:2016年 |