解説
[1672~1703]江戸時代前期の武士。寛文12年生まれ。播磨(兵庫県)赤穂藩士。四十七士のひとり。中小姓、膳番元方、金奉行、腰物方を兼ねた。藩主浅野長矩の死後、江戸にでて、脇屋新兵衛と変名し吉良義央邸をさぐった。討ち入り後、元禄16年2月4日切腹。32歳。名は忠雄。俳号は子葉。著作に「丁丑紀行」、編著に「二つの竹」。お墓
場所:泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1) 墓正面:刃無一剣信士 撮影:2020年 |
場所:興聖寺(愛媛県松山市末広町14-1) 撮影:2014年 |
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