大高源吾(おおたか げんご)

2022/01/31

2014年 2020年 愛媛県 赤穂浪士 東京都 武士

解説

[1672~1703]江戸時代前期の武士。寛文12年生まれ。播磨(兵庫県)赤穂藩士。四十七士のひとり。中小姓、膳番元方、金奉行、腰物方を兼ねた。藩主浅野長矩の死後、江戸にでて、脇屋新兵衛と変名し吉良義央邸をさぐった。討ち入り後、元禄16年2月4日切腹。32歳。名は忠雄。俳号は子葉。著作に「丁丑紀行」、編著に「二つの竹」。

お墓

場所:泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1)
墓正面:刃無一剣信士 撮影:2020年
場所:興聖寺(愛媛県松山市末広町14-1)
撮影:2014年

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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