解説
[1665~1747]江戸時代前期から中期の武士。寛文5年生まれ。赤穂四十七士のひとり。吉田忠左衛門の組下の足軽。元禄15年吉良邸討ち入り後姿をけす。広島浅野家への密使説、逃亡説、身分がかるいための遠慮説などがある。幕府の処分はうけず、のち姫路藩士につかえ、晩年は江戸麻布曹渓寺の寺男となった。延享4年10月6日死去。83歳。名は信行。お墓
場所:曹渓寺(東京都港区南麻布2-9-22) |
場所:泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1) 墓正面:遂道退身信士 撮影:2020年 |
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