解説
[1864~1929]明治から昭和時代前期の軍人、政治家。元治元年6月22日生まれ。大正10年陸軍大将。14年政友会総裁、昭和2年首相兼外相となり、山東出兵を断行、東方会議で対支政策綱領を決定するなど、中国に対する強硬外交を展開。また治安維持法を改正、社会主義運動を弾圧した。張作霖爆殺事件の責任をとって4年総辞職。昭和4年9月29日死去。66歳。長門(山口県)出身。陸軍大学校卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(6区1種16側) 墓正面:田中義一墓 撮影:2020年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |