解説
[1738~1793]江戸時代中期から後期の経世家。元文3年6月21日生まれ。幕臣林笠翁の次男。兄林嘉膳が陸奥仙台藩につかえたため、仙台にうつる。藩に富国策を提出。江戸、長崎で大槻玄沢、オランダ人らに海外事情をきく。天明5年「三国通覧図説」、6年「海国兵談」をあらわし海防の必要を説くが、幕府の怒りにふれ蟄居となり、両書の板木は没収された。寛政5年6月21日死去。56歳。名は友直。号は六無斎。お墓
場所:龍雲院(宮城県仙台市青葉区子平町19-5) 撮影:2009年 |
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墓碑は、天保12年(1841年)に甥の林珍平が建てたものです。
返信削除「林子平墓」として国指定史跡に指定されています。
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