清浦奎吾(きようら けいご)

2014/05/28

2013年 官僚 神奈川県 政治家 内閣総理大臣

解説

[1850~1942]明治から大正時代の官僚、政治家。嘉永3年2月14日生まれ。広瀬淡窓創立の咸宜園にまなぶ。内務官僚として山県有朋に信任され、明治24年貴族院議員。法相、農商務相、枢密顧問官などを歴任し、大正13年貴族院を母体に超然内閣を組織するが、総選挙で護憲三派に敗れ、5ヵ月で総辞職した。昭和17年11月5日死去。93歳。肥後(熊本県)出身。

お墓

場所:總持寺(神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1)(中央ニ1−27)
墓正面:従一位大勲位伯爵清浦奎吾墓 撮影:2013年

肖像

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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