解説
[1308~1335]鎌倉から南北朝時代、後醍醐天皇の皇子。延慶元年生まれ。母は源親子。出家して梶井門跡、天台座主となり、大塔宮と称される。父天皇の討幕運動に協力し、元弘の乱に際し還俗して吉野に挙兵した。建武の新政で征夷大将軍となるが、足利尊氏と対立。謀反の罪で鎌倉に幽閉され、建武2年7月23日中先代の乱のとき殺された。28歳。法名は尊雲。お墓
場所:理智光寺跡(神奈川県鎌倉市二階堂) 撮影:2012年 |
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