解説
[1733~1800]江戸時代中期から後期の大名。享保18年9月20日生まれ。徳川宗勝の次男。宝暦11年尾張名古屋藩主徳川家9代となる。人材を登用して藩政の改革にあたる。治水、新田開発、殖産興業をすすめ、藩校明倫堂を創設し、聖堂をたてて学問を奨励、名古屋藩中興の祖といわれた。寛政11年12月20日死去。67歳。お墓
場所:定光寺(愛知県瀬戸市定光寺町373) |
場所:小牧山(愛知県小牧市堀の内1-1) 墓正面:亞相二品天祥院殿鋻譽峻徳源明公尊儀 撮影:2011年 |
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