解説
[1696~1764]江戸時代中期の大名。元禄9年10月26日生まれ。徳川綱誠の子。陸奥梁川藩(福島県)藩主から、享保15年尾張名古屋藩主徳川家7代となる。商工業を発展させ、風俗の開放政策をとり、名古屋の町は活況を呈したが、享保の改革の倹約政策に反したため、元文4年隠居謹慎を命じられた。明和元年10月8日死去。69歳。初名は通春。著作に「温知政要」。お墓
場所:定光寺(愛知県瀬戸市定光寺町373) |
場所:平和公園内建中寺墓地(愛知県名古屋市千種区平和公園) 墓正面:贈亞相二品章善院殿厚譽孚式源逞大居士尊儀 撮影:2010年 |