解説
[1118~1181]平安時代後期の武将。元永元年生まれ。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とする説もある。平治の乱で源氏の勢力を一掃し、後白河上皇や二条天皇の信任をえる。仁安2年従一位、太政大臣となり翌年出家。娘の徳子を高倉天皇の中宮とし、平氏一門で官職を独占するが、鹿ケ谷事件を契機に後白河法皇との対立がふかまり、治承3年法皇を幽閉し、政権を完全掌握する。以仁王や諸国の源氏の平氏打倒の挙兵にあうなか、治承5年閏2月4日没した。64歳。通称は平相国、六波羅殿、六波羅入道。法名は静(浄)海。お墓
場所:能福寺(兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39) 撮影:2016年 |
場所:清盛塚(兵庫県神戸市兵庫区切戸町1-3) 撮影:2016年 |
場所:六波羅蜜寺(京都府京都市東山区五条通大和大路上ル東) 撮影:2008年 |