解説
[1154~1184]平安時代後期の武将。久寿元年生まれ。源義賢の次男。信濃(長野県)木曾で、乳母の夫中原兼遠にそだてられた。治承4年以仁王の令旨により挙兵し、倶利伽羅峠で平家軍を大破。一時京都を制圧したが後白河法皇、源頼朝と対立し、寿永3年1月20日近江(滋賀県)粟津で討ち死に。31歳。通称は木曾冠者、旭将軍。お墓
場所:義仲寺(滋賀県大津市馬場1-5-12) 撮影:2009年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。