解説
[1436~1490]室町幕府8代将軍。在職1449-74。永享7年1月2日生まれ。足利義教の子。母は日野重子。文安6年将軍職につくが、畠山持国、細川勝元ら宿老中心の政治をきらい遊興にふける。寛正5年弟義視を後嗣にさだめたが、妻日野富子が義尚を生んだため、後継者争いがおこり、応仁の乱に発展。乱中の文明5年義尚に将軍職をゆずり、のち京都東山にうつって東山殿とよばれる。銀閣寺、水墨画、能楽、生け花などに代表される東山文化をうみだした。延徳2年1月7日死去。56歳。幼名は三春。初名は義成。法号は慈照院。お墓
場所:相国寺(京都府京都市上京区相国寺門前町701) 撮影:2010年 |