解説
[1737~1813]江戸時代中期から後期の儒者。元文2年生まれ。大坂の人。商家をつぐ。菅甘谷に徂徠学をまなび、40歳で家塾梅花書屋をひらく。詩書、天文に通じ、尾藤二洲ら朱子学者とまじわる。養子小竹が家学をついだ。文化10年10月30日死去。77歳。名は応道。字は安道。通称は長兵衛。別号に郁洲。著作に「碧紗籠集」など。お墓
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| 場所:天徳寺(大阪府大阪市北区与力町2-1) 墓正面:三島篠崎先生墓 撮影:2025年 |
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