解説
[1838~1886]幕末から明治時代の囲碁棋士。天保9年生まれ。江戸上野車坂下の職人の子。13世本因坊丈策、14世秀和の弟子。秀和の跡目となれず、明治12年中川亀三郎らと方円社を結成し初代社長となり、坊門と対立した。19年17世本因坊秀栄と和解、8段をおくられ18世をゆずられたが、同年10月14日急死した。49歳。姓は村瀬。通称は弥吉。お墓
場所:本妙寺(東京都豊島区巣鴨5−35-6) 墓正面:本因坊秀甫日壽果位 撮影:2024年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿