解説
[1829~1903]明治時代の法学者、官僚。文政12年6月25日生まれ。美作(岡山県)津山藩士の子。漢学、洋学をまなび、蕃書調所教授手伝並となる。文久2年幕命で西周らとともにオランダに留学し、帰国後、開成所教授。フィセリングの講義訳を「泰西国法論」として出版する。のち新政府につかえ、明治6年明六社の創立に参加。元老院議官、衆議院初代副議長、貴族院議員。明治36年9月3日死去。75歳。お墓
場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(乙10号左3側) 墓正面:従二位勲一等法學博士男爵津田真道墓 撮影:2023年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |
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