解説
[1836~1902]幕末から明治時代の武士、官僚。天保7年生まれ。備前岡山藩士。藤本鉄石らと攘夷運動を展開。元治元年新選組の松山幾之助を暗殺して投獄される。維新後、司法省判事となり監獄法改正につくす。のち内務省監獄局次長、元老院議官、貴族院議員などを歴任。明治35年5月28日死去。67歳。幼名は澄太郎。号は米華。名は「しげや」ともよむ。お墓
場所:染井霊園(東京都豊島区駒込5-5-1)(1種イ3号11側) 墓正面:正三位勲三等小原重哉墓 撮影:2024年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿