解説
[1852~1893]幕末から明治時代の国学者。嘉永5年3月29日生まれ。備後広島藩三原城主浅野家の家臣松野尚志の次男。平田銕胤にまなぶ。宇佐神宮、皇大神宮の神職、神道事務局編輯専務などをつとめた。皇典講究所、国学院の創立に尽力し、「古事類苑」や雑誌「日本文学」の編集にあたった。明治26年8月6日死去。42歳。名は達志、尚正。通称は栄、盛枝。号は東海。お墓
場所:染井霊園(東京都豊島区駒込5-5-1)(1種イ3号15側) 墓正面:松野勇雄墓 撮影:2024年 |
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