解説
[1738~1801]江戸時代中期の大名。元文3年2月27日生まれ。出羽久保田新田藩(秋田県)藩主佐竹義道の4男。蜂須賀至央の養子となり、宝暦4年阿波徳島藩主蜂須賀家10代。9年ぜいたくを禁じ藩政の改革に着手したが失敗し、明和6年幕府から隠居を命じられる。茶の湯や陶芸をこのんだ。享和元年10月20日死去。64歳。幼名は岩五郎。お墓
場所:万年山墓地(徳島県徳島市佐古山町) |
場所:興源寺(徳島県徳島市下助任町2-45) 墓正面:謙光院殿故阿淡二州太守従四位拾遺貞道泰元大居士 撮影:2022年 |
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