解説
[1822~1914]幕末から明治時代の漢学者、教育者。文政5年9月24日生まれ。徳富蘇峰、徳冨蘆花の父。生家は肥後(熊本県)の惣庄屋。横井小楠にまなぶ。維新後は熊本藩庁ついで熊本県に出仕するが、明治6年辞職。13年私立中学共立学舎、15年大江義塾の設立にくわわる。大正3年5月26日死去。93歳。通称は太多助、太多七。号は淇水。名は「いっけい」ともよむ。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(6区1種8側) 墓正面:淇水先生墓 撮影:2022年 |
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