解説
[1835~1883]明治時代の版画家。天保6年2月5日生まれ。狩野洞庭に師事し、幕府の軍艦操練所絵図認方となる。明治6年ウィーンに留学、地図製作法や銅・石版画の技術をまなぶ。帰国後大蔵省紙幣寮、内務省地理寮につとめた。明治16年2月4日死去。49歳。伊勢(三重県)出身。本姓は木下。号は洞翠。著作に「地理製図式」、作品に「鴨図」。お墓
場所:谷中霊園(東京都台東区谷中7-5-24)(乙1号7側) 墓正面:橋家累代之墓 撮影:2021年 |
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