解説
[1885~1946]大正から昭和時代前期の軍人。明治18年11月8日生まれ。北支那方面軍参謀長、航空総監を歴任。太平洋戦争では第二十五軍司令官としてシンガポールを攻略。昭和19年第十四方面軍司令官となりフィリピン防衛にあたる。陸軍大将。戦後マニラの軍事裁判で捕虜虐待などの責任をとわれ、昭和21年2月23日処刑された。62歳。高知県出身。陸軍大学校卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(16区1種8側) 墓正面:山下奉文墓 撮影:2020年 |
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