解説
[1787~1863]江戸時代後期の儒者。天明7年生まれ。讃岐高松藩士。昌平黌で古賀精里にまなび、文政12年高松藩儒となり、世子の侍読、使番をつとめる。渡辺崋山らと交友をふかめ、十文字槍の名人でもあった。文久2年11月14日死去。76歳。名は縄。字は士巽。通称は秀之助、巌三。著作に「海防論」「春秋質疑」など。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ3号5側) 墓正面:赤井家累代之墓 撮影:2020年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
墓マイラーが行く。