解説
[1804~1872]幕末から明治時代の公共事業家。文化元年生まれ。豊前企救郡(福岡県)長浜浦の庄屋。文久元年庄屋をしりぞき、小倉藩海上御用掛、難破船支配役となる。航海の難所、小倉沖の白洲に灯台の建設をすすめる。灯台は明治4年工事をひきついだ政府の手で6年に完成した。明治5年4月25日死去。69歳。お墓
場所:西顕寺(福岡県北九州市小倉北区京町4-4-42) 撮影:2019年 |
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