解説
[1873~1948]明治から昭和時代の法学者。明治6年5月7日生まれ。美濃部亮吉の父。明治35年母校東京帝大の教授。45年刊の「憲法講話」で天皇機関説をとなえ、上杉慎吉と論争となる。昭和7年貴族院議員。10年右翼思想家らの国体明徴運動による攻撃をうけ、不敬罪で告訴され議員を辞職、著書は発禁となった。戦後は枢密顧問官。昭和23年5月23日死去。76歳。兵庫県出身。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(25区1種24側) 墓正面:美濃部氏墓 撮影:2019年 |
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