解説
[1866~1945]明治から昭和時代前期の仏教学者。慶応2年5月17日生まれ。明治23年渡欧してインド学、梵語学をまなぶ。32年東京帝大教授となり、東京外国語学校(現東京外大)校長を兼任。のち武蔵野女子学院を創設、東洋大学長をつとめた。昭和19年文化勲章。「ウパニシャッド全書」「大正新脩大蔵経」などを監修。昭和20年6月28日死去。80歳。備後(広島県)出身。京都普通教校(現竜谷大)卒。旧姓は沢井。号は雪頂。お墓
場所:築地本願寺和田堀廟所(東京都杉並区永福1-8-1) 墓正面:高楠家之墓 撮影:2023年 |