解説
[1809~1857]江戸時代後期の大名。文化6年11月11日生まれ。板倉勝尚の子。文政3年上野(群馬県)安中藩主板倉家第2次5代となる。天保14年奏者番。学問を奨励して郷学桃渓書院を設立、「甘雨亭叢書」を編集した。遠足をはじめて実施、西洋砲術を導入、植林・殖産にもつとめた。安政4年4月10日死去。49歳。号は節山。名は「かつあきら」ともよむ。著作に「西征紀行」など。お墓
場所:吸江寺(東京都渋谷区東4-10-33) 墓正面:板倉家累代之墓 撮影:2019年 |
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