解説
[1827~1868]幕末の武士。文政10年1月1日生まれ。越後(新潟県)長岡藩士。江戸で斎藤拙堂、古賀謹一郎、佐久間象山にまなぶ。慶応3年藩執政となり藩政の改革を断行。翌年家老上席にすすむ。戊辰戦争では中立の立場をとろうとしたが新政府軍にみとめられず戦闘にはいる。長岡城の攻防で負傷、慶応4年8月16日没した。42歳。名は秋義。号は蒼竜窟。お墓
場所:栄涼寺(新潟県長岡市東神田3-5-6) |
場所:建福寺(福島県会津若松市建福寺前7-3) 墓正面:故長岡藩総督河井継之助君埋骨遺跡 撮影:2017年 |
肖像
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |