解説
[1826~1897]江戸後期から明治時代の大名。文政9年9月7日生まれ。松平斉韶の長男。松平斉宣のあと、天保15年播磨(兵庫県)明石藩主松平(越前)家9代となる。洋式砲術を導入し、海防につとめた。明治30年11月8日死去。72歳。初名は直憲。通称は濤次郎。号は鶴雲。お墓
場所:青山霊園(東京都港区南青山2-32-2)(1種イ9号10側) 墓正面:従三位松平慶憲之墓 撮影:2020年 |
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