解説
[1510~1577]戦国から織豊時代の武将。永正7年生まれ。三好長慶の家老として権勢をふるい、信貴山城、多聞城にあって大和(奈良県)を支配。長慶死後、将軍足利義輝を殺す。三好三人衆と対立し、彼らとの戦いの際、東大寺大仏殿は焼失。永禄11年織田信長に降伏して大和を安堵されたが、のち信長にそむき、天正5年10月10日信貴山城に火をはなって自害した。68歳。弾正少弼、山城守。お墓
場所:達磨寺(奈良県北葛城郡王寺町本町2-1) |
場所:妙恵会総墓所(京都府京都市下京区柿本町735) 墓正面:妙久寺殿祐雪大居士 撮影:2016年 |