解説
[1681~1764]江戸時代前期から中期の浄瑠璃太夫。天和元年生まれ。大坂の人。義太夫節の初代竹本義太夫の弟子。初名は竹本采女。元禄16年豊竹若太夫(初代)と改名し、豊竹座を創設。上野少掾ついで越前少掾を受領。東風とよばれる華麗な芸風で人気をえた。梁塵軒の号で浄瑠璃も執筆。明和元年9月13日死去。84歳。通称は幾竹屋、河内屋勘右衛門。お墓
場所:本経寺(大阪府大阪市中央区中寺2-1-45) 墓正面:一音院真覚隆信日重 撮影:2016年 |
古今東西、紀元前から平成まで日本全国「3,000人以上」の有名人のお墓を紹介しています。
場所:本経寺(大阪府大阪市中央区中寺2-1-45) 墓正面:一音院真覚隆信日重 撮影:2016年 |
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