解説
[1651~1714]江戸時代前期から中期の浄瑠璃太夫。慶安4年摂津東成郡(大阪府)天王寺村の農家に生まれる。清水理兵衛に師事、貞享元年竹本義太夫を名のり、大坂道頓堀に竹本座を創設。近松門左衛門と提携して、人情を表現する近世浄瑠璃の語りである義太夫節を確立。「曾根崎心中」「冥途の飛脚」などを上演した。正徳4年9月10日死去。64歳。本名は五郎兵衛。受領名は筑後掾。お墓
場所:超願寺(大阪府大阪市天王寺区大道1-14-1) 撮影:2016年 |
場所:回向院(東京都墨田区両国2-8-10) 墓正面:竹本義太夫之墓 撮影:2014年 |