解説
[1567~1615]織豊から江戸時代前期の武将。永禄10年生まれ。真田昌幸の次男。関ケ原の戦いに際しては西軍に属し、父とともに居城の信濃(長野県)上田城で徳川秀忠軍を阻止、敗戦後、紀伊九度山(和歌山県)に蟄居した。慶長19年大坂冬の陣では、大坂城外に出城真田丸をつくり、徳川方をくるしめたが、20年5月7日夏の陣で討ち死にした。49歳。幼名は源次郎。名は信繁。幸村名の確実な史料はない。お墓
場所:不明 |
場所:心眼寺(大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22) 墓正面:従五位下真田左衛門佐豊臣信繁之墓 撮影:2016年 |