解説
[1814~1860]江戸時代後期の武士。文化11年生まれ。常陸水戸藩士。奥右筆頭取、小姓頭などをつとめる。鹿児島藩士らと大老井伊直弼襲撃、大坂挙兵を計画。挙行に先立って大坂にゆくが、桜田門外の変後、幕吏に発見され、万延元年3月23日子の庄左衛門とともに四天王寺で自殺した。47歳。名は愛諸。字は敬卿。号は柚門、水哉堂、幽竹山窓。著作に「遠近橋」。お墓
場所:常磐共有墓地(茨城県水戸市松本町13-34) |
場所:四天王寺(大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18) 墓正面:怨霊消滅 撮影:2016年 |