解説
[1777~1835]江戸時代後期の画家。安永6年6月10日生まれ。豊後(大分県)岡藩医の次男。藩校由学館の頭取となる。藩内の農民一揆の際、藩政改革の建言がいれられず隠退。絵を谷文晁らにまなび、繊細な筆致の独自の画風を確立。幕末文人画壇の代表的な作家。頼山陽らと親交をもち、詩や書にもすぐれた。天保6年8月29日死去。59歳。名は孝憲。字は君彝。通称は行蔵。作品に「亦復一楽帖」、画論に「山中人饒舌」。お墓
場所:浄春寺(大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-3) 墓正面:竹田先生墓 撮影:2016年 |