解説
[1801~1868]江戸時代後期の武士。享和元年4月25日生まれ。幕臣。勘定奉行兼海防掛となり、安政元年伊豆下田で日露和親条約に調印。5年日米修好通商条約締結の勅許をもとめる老中堀田正睦の京都行きに随行。将軍継嗣問題で一橋派に属して失脚したが、のち外国奉行となった。慶応4年3月15日ピストル自殺。68歳。豊後(大分県)出身。本姓は内藤。通称は三左衛門。号は敬斎、頑民斎。お墓
場所:大正寺(東京都台東区池之端2-1-21) 墓正面:誠格院殿嘉訓明弼大居士 撮影:2015年 |
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