解説
[1754~1832]江戸時代中期から後期の大名。宝暦4年1月17日生まれ。松前資広の長男。明和2年12歳で蝦夷地(北海道)松前藩主8代となる。このころロシアの南下が顕著になる。藩政をおろそかにして遊興にふけり、幕府の内命で寛政4年隠居したが、その後も行いをあらためず、文化4年永蟄居を命じられた。天保3年6月20日死去。79歳。初名は章広、のち幸広。通称は外記。お墓
場所:吉祥寺(東京都文京区本駒込3-19-17) 墓正面:福山館主従五位下松前美作守源道廣之墓 撮影:2023年 |
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