解説
[1864~1911]明治時代の俳優、興行師。文久4年1月1日生まれ。落語家桂文之助に入門、時局諷刺のオッペケペ節で人気をえる。明治24年書生芝居を旗揚げし、「日清戦争」などで当たりをとり新派の基礎をきずく。27年貞奴と結婚。29年東京神田に川上座を創設。のち貞奴らと欧米を巡業し、36年正劇と称し「オセロ」などの翻訳劇を上演。41年帝国女優養成所を開設。明治44年11月11日死去。48歳。筑前(福岡県)出身。本名は音吉。お墓
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場所:承天寺(福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9) |
場所:總持寺(神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1) 墓正面:川上家之墓 撮影:2015年 |
肖像
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出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 |
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