解説
[1744~1780]江戸時代中期の大名。延享元年7月15日生まれ。奥平昌敦の長男。宝暦8年豊前中津藩(大分県)藩主奥平家3代となる。国学を賀茂真淵にまなび、和歌をよくした。前野良沢を保護して蘭学研究をたすけ、儒者藤田敬所を採用して藩政改革につとめた。安永9年7月24日死去。37歳。初名は昌邦。著作に「久受蔓」など。お墓
場所:清光院(東京都品川区南品川4-2-35) 墓正面:興隆院殿悟渓道本大居士 撮影:2014年 |
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