解説
[1833~1896]幕末から明治時代の武士。天保4年生まれ。土佐高知藩の郷士。京都で春日潜庵にまなぶ。土佐勤王党にくわわり、文久2年那須信吾らとともに藩参政の吉田東洋を殺害。のち鹿児島藩士奈良原繁の養子となり、高見弥一郎と改名。イギリス留学後、鹿児島の造士館などでおしえた。明治29年2月28日死去。64歳。名は祐之。変名は安藤勇之助。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(22区1種5側) 墓正面:高見家之墓 撮影:2019年 |
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