解説
[1878~1943]明治から昭和時代前期の造船工学者。明治11年3月8日生まれ。海軍技術研究所長などをつとめ、大正15年造船中将。戦艦陸奥・長門や巡洋艦夕張・古鷹などを設計した。大正7年東京帝大教授、昭和13年総長となり、いわゆる平賀粛学を断行した。昭和3年高速度艦船に関する研究で学士院賞。昭和18年2月17日死去。66歳。東京出身。東京帝大卒。お墓
場所:多磨霊園(東京都府中市多磨町4-628)(23区1種2側) 墓正面:平賀譲先生墓 撮影:2019年 |
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