解説
[1854~1931]幕末から大正時代の武士、官吏。嘉永7年3月25日生まれ。慶応4年会津藩の白虎隊編制のとき15歳を16歳といつわり入隊。新政府軍の会津攻撃の際、飯盛山で隊士19名とともに自刃をはかったが、ただひとり生還。維新後貞雄と改名。逓信技師となり、仙台逓信管理局工務部長をつとめ、日清戦争にも従軍した。昭和6年6月12日死去。78歳。お墓
場所:輪王寺(宮城県仙台市青葉区北山1-14-1) 墓正面:飯沼貞雄之墓 撮影:2009年 |
場所:飯森山(福島県会津若松市一箕町八幡弁天下) 墓正面:飯沼貞雄之墓 撮影:2009年 |